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» 2007年12月17日 00時00分 公開

国内半導体業界に迫る衝撃の再編シナリオ半導体ウォッチ(1/3 ページ)

今回は、「世界で勝つためのニッポン産業の再編シナリオ」がテーマである。今回は「ニッポン産業乱世」時代を乗り切るために、日本企業が取るべき半導体業界の再編シナリオを提示しよう。

[豊崎 禎久,ジェイスター株式会社]
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@IT MONOistで掲載された記事を転載しています



国内半導体業界の栄光と没落

 若い読者の方は、ご存じないかもしれない。かつて、日本半導体業界には「黄金期」と呼ばれる時代があった。黄金期が始まったのは、約25年前の1980年代半ばである。日本半導体メーカーは256kbits DRAMの世界市場で圧倒的に高いシェアを獲得し、1985年には米Gartner社(当時は米Dataquest社)の半導体メーカー別世界売上高ランキングで、日本電気(現在のNECエレクトロニクス)が日本勢として初めて首位に立った。

 1986年の同売上高ランキングには、第1位に日本電気、第2位に東芝、第3位に日立製作所、第7位に富士通、第9位に松下電子工業(現在の松下電器産業 半導体社)、第10位に三菱電機と上位10社に6社も日本半導体メーカーが名を連ねている。そして1988年には、世界全体の半導体売上高のうち、日本半導体メーカーが49%を占めるに至った。まさに当時の国内半導体業界は、この世の春を謳歌(おうか)していた。

 1980年代半ば、日本半導体メーカートップ5社合計で半導体関連の特許出願数が最多となり、DRAMの売上高で約80%を占有していた。ところが現在の日本半導体業界は、当時の見る影もない状態にまで凋落(ちょうらく)している。米Gartner社が発表した2006年の売上高ランキングでは、東芝とルネサステクノロジが上位10社に顔を見せているだけだ。しかも最上位の東芝でさえ第6位にすぎない。

 若い技術者の方々は、なぜかと疑問に思うだろう。これは日本に対して米国政府と業界団体がプレッシャーを掛けた過去の事実を分析すればすべて分かる。当社(ジェイスター)では、そろそろ根本的な対策を講じなければ、日本半導体の復活は、困難になると見ている。

米国が日本に仕掛けた半導体戦略

 DRAMの占有率、半導体全体の占有率でも日本半導体メーカーに抜かれた1980年代の米国半導体メーカーは、この状況に危機感を持った。半導体だけでなく、カラーテレビなどの家電製品においても日本電機メーカーが世界で大躍進し、米国電機メーカーの凋落が顕著だったからである。

 当時のレーガン大統領(共和党)は「産業競争力に関する大統領顧問委員会(President's Commission on Industrial Competitiveness)」を米国議会に設置した。この委員長には、当時、米ヒューレット・パッカード社(HP)の社長だったジョン・ヤング氏が就任した。数百人の委員が1年半に及ぶ緻密(ちみつ)な日本の調査研究を行い、1985年1月、ヤング委員長は「国際競争力と新たな現実(Global Competition ― The New Reality)」と題する報告書を提出した。これが、いわゆるヤング・レポートである。

 このヤング・レポートでは、プロパテント政策および通商政策が重要課題の1つとして提言された。これらの政策により、日米半導体摩擦が激化した。その一環として、米テキサス・インスツルメンツ(TI)社が、DRAMの基本特許侵害を理由に、日本半導体メーカー8社を提訴した。その結果、日本半導体メーカーは敗訴し、和解金1億9000万米ドルの支払いを命じられた。1987年当時の日本半導体メーカーは、年間1万件を超える特許を出願し続けていたにもかかわらず、TI社のDRAM特許に1社も対抗できなかった。

 このことから、当時の日本半導体メーカーは「特許は量ではなく、質(基本特許)が重要である」という反省をした。第1の事件が、これである(電機メーカーだけの特許問題でなく、日米の裁判制度の違いも背景にはある)。第2の事件は、同時期に、日本の特許庁から「特許出願数を減らすように」と日本半導体メーカー各社に指導があった。日本半導体メーカートップ5社から年間1万件を超える特許が出願されていたため、特許庁が処理をしきれずパンクしたのである。これ以降、日本半導体メーカーは、1件の特許を大型化するなどして出願数を減らす方針を取ることになったが、このことも日本の技術開発の弱体化を招いた。

 日米半導体摩擦、TI社からの提訴、特許庁の指導、これらの要因がすべて1980年代半ばに起こった。1987〜1994年にかけて日本メーカーによる半導体関連の特許出願数が激減するのは、このためである。

 日本電機メーカーの弱体化は、国産OSのTRON開発断念も起因している。アメリカ合衆国通商代表部(Office of the United States Trade Representative:USTR)は、TRONを米国製OSに対する対抗勢力と見なし、その勢力を押さえ付けるために政治的に圧力を掛けたのである。当時の日本政府は、TRONテクノロジーの先駆性に気付くことができず、不必要な妥協をしてしまったのである。

 そのTRONは、携帯電話やデジタルカメラ、デジタル家電や自動車エンジンコントロールユニットなどの組み込みOSとして急成長し、非パソコン分野では業界標準の座を獲得した。現在、TRONの後継となるT-Engineフォーラムは、国内外の主要メーカーや大学など434団体が参加する一大集団となっている。このTRON問題は、次回以降の半導体ウォッチのテーマとして取り上げることにしよう。

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